異世界召喚されずに乙女ゲーに組み込まれたようです 13
「夢みたいー」
「ゆいね、そろそろ現実に帰ってきて」
「あははー俺は構わないけどねー」
本来であれば黒に言われた通り、風真先生による防御アンド結界勉強会のハズなのだが、唯音はひたすらコロコロとアルマジロ姿の風真を転がしていた。それを見て、奏多は止めるべきか好きにさせるか悩んだ結果、カピバラに転じて唯音の制服の裾を食み構ってとアピールしてみせる。その光景に、講義よりもよっぽど楽しいと転がされながら風真は終始楽しそうに笑っており、なんだかもう収拾がつかない状態になっていた。
「それじゃ、イオちゃんは基本だけでも覚えよっかー?」
右に左にされるがまま転がされながら、風真は自分がこの場に留まることになった理由を口にする。このままのんびりとした時間を過ごすのは心情的には一向に構わないと思うのだが、教えなかった
所為で新米契約者が危機に陥るのは見過ごせないと感じたらしい。
「本題なんだっけ?お勉強?」
コロコロと転がす手を止めず、唯音はあえてすっとぼけて見せる。別に自衛の手段を覚える必要はないというのが、偽らざる本音だ。というか、わざわざ覚える必要などないというのが、正しい事情なのである。
「そうそうー。せめて力のある言葉だけでも覚えたらだいぶ違うと思うしー?何か知ってるー?呪文みたいなやつー」
結界技術は向き不向きもあるが、自衛の手段である護りの言葉は手っ取り早く闇に有効な手段だろうと考え、風真はそれだけでも教えてしまおうと話を進めた。
所謂祝詞だとか
真言の類で、体系化され言葉そのものが力を持っているものは、心得のない人間や大した潜在能力を持たない人間でもそれなりの効果を期待出来る。ましてや、帝都観光が誇る日本国内でも有数の人外と契約した身であれば、それだけで
恩寵とも言える加護として生来の能力よりも強化されるのだから、唯音は力ある言葉を覚えても損はない。
「『
一夜一夜に、人見頃~』『富士山麓に
鸚鵡鳴く』『
人麿は
三色に並ぶや』とか?」
唯音は僅かに考える素振りを見せた後、人差し指を口元に当てて小さく首を傾げつつ、思いつく限りにそう言った。
「へ?」
いきなりつらつらと並べられた言葉に、奏多はポカンと間抜けな表情を浮かべる。聞いたことのない言葉だが、妙に説得力のある響きだと感じた。
「他には『身一つ世一つ生くに無意味、曰く泣く身に宮城に、虫散々闇に泣く』とか」
さらに楽しそうな口ぶりで、唯音はそう続ける。適当に思いつくまま言葉を並べたというものではなく、風真の指す種類の『力のある言葉』ではないものの、確かに何らかの説得力を感じさせる言葉だろうと確信を持って唯音はこの言葉を選んでいた。
「イオちゃーん、確かにある種の力はあるけど、俺が言ってるのはテスト勉強的な効力の言葉じゃないかなー?」
風真は奏多とは違い、唯音が羅列した言葉を正しく知っていたらしく、可笑しそうに笑いながらきちんと訂正した。平方根の暗記の仕方や円周率の暗記の仕方の語呂合わせは、テスト勉強で多くの生徒が口にする言葉であり、テストの成績の向上を願う祈りの力は宿っているかもしれない。そういう意味では、確かに力のある言葉と言えるかもしれないが、風真の言う力ある言葉とはまた違った意味のものだ。
「あはは、やっぱり?」
唯音自身、このような言葉で切り抜けられる状況とは思っていないが、正しい意味で『力のある言葉』を知っている身としてはこの場であまり口にしたくない事情がある。何せ相応の修練を積んだ身、言葉の持つ力を正しく行使出来るのは当然だ。それをこの場で見せるのは、一般人の看板を下ろすことに等しい。力ある言葉、
祓詞なら常用しているものがあるが、この場で奏上してしまうと、間違いなく素人ではないことが
暴露てしまう。
「……んー…どうしよっか、タワシちゃん」
最も得策なのはこのままバックレること、次善の策は言い包めることだが、どちらも難しいだろうと、唯音は秘密を共有する相手であり自身の
相棒である奏多を仰ぐ。
「オレが決めるコトじゃない…。ゆいねの思う通りにしたらイイと思う」
水を向けられた奏多は、ポンっという小気味の良い音と共にそろそろ見慣れた一見チャラそうな金髪に褐色の肌、金色の瞳の青年の姿に転じると、ふわりと柔らかく微笑んだ。本当は聞くまでもなく答は用意してあるのだろうとその優しい瞳が告げている。
「もー…それじゃ、外に実戦練習しに行くってコトで…どうかなぁ?」
この場で思った通りのことを実行した場合、余計な詮索程度で済めば御の字だと唯音は正しく理解している為、早々に外に出ることを提案した。
「えー?外ー?実戦練習って物騒なんだけどー」
実戦以前の練習をして欲しかったというのが風真の言い分であり、黒に託された懸案事項でもあったのだが、強気にも外で実演すると言い出している目の前の女子高生に、さてどうしたものかと風真は笑顔の裏で思考を巡らせる。
「何ならお仕事お手伝いするから」
「ゆいね…言い出したら聞かないし。
風兄、諦めて」
にっこりと決定事項のように外に出ようと立ち上がる唯音に、奏多はやれやれという様子で追従した。まるで長年連れ添った相棒関係のようなその様子に、風真は面白そうに僅かに目を細める。
「それじゃ俺のお仕事にでもついてくるー?奏多、絶対護りきる自信あるんだよねー?」
まさかその自信がないのに、いきなり現場投入という無謀は許さないと風真は僅かに冷ややかな視線を奏多に向けた。兄弟たちの中で、闇を目視する
見鬼の才を失った小太郎は除外して考えるとしても、奏多は最も戦力外と言って差し支えない状態というのが兄弟全員の見解だ。何せ呪いを受けた身、後は緩やかに死を待つばかりという状態の存在、思うが儘に本来の力を行使出来る身ではないため、どうしても戦力に劣る。いくら奏多が、本来であれば兄弟たちの中でも上位三指に数えられる能力を有していても、行使できなければ何の意味もないのだ。
「ダイジョーブ、オレ強いし」」
自信たっぷりに、奏多は肯いた。絶対の意思を込めた、揺るがない強い瞳は、キラキラと光を弾いて美しく輝いている。強がりではなく、規定事項だとキッパリと断じた。
「タワシのくせに…」
ボソリと水を差すように唯音はチラリと傍らの奏多に視線を向ける。冷たく突き放すような声音ではなく、どこか親愛と甘えの滲む声は笑みを含んでいた。
「…ゆいね、そのタワシのご主人なんだけど、ディスるの禁止」
まるで幼子の我儘を宥めるような、優しさと柔らかさを感じさせる声で、奏多は一応の抗議を口にする。タワシと呼ばれても、もう本気で言い返すことのない奏多は、傍から見れば
終焉を受け入れた者に見えるだろう。
「それじゃ、宅急便に俺が怒られたら2人のせいにするからねー」
本当に何を言っても無駄のような気がして、風真はあっさりと2人を仕事に伴う事を了承した。いざとなったら、護るだけなら自分が
如何にか出来るという自負もある。その場合、闇を退けるには至らないだろうが、どうにか他の兄弟と連絡さえつけば問題ない。そんな兄弟への信頼も相まってか、あまり深く考えようとはしなかった。
「そんじゃ、簡単に俺の今日のお仕事説明しとくねー?
祥馬山から
志貴山までの縦走コースにある展望台付近に闇が溜まってるから、ちょっと行ってパパっと片づけるだけー」
帝都観光の下っ端構成員、武装案内人の下部組織のような現地調査部という部署から展望台を根城に大きく育った闇が、ハイキングコースを歩く人や
祥馬志貴スカイラインを走る車を飲み込み、行方不明者を出しているという情報が入ったのが数日前。それから事実関係を検証し、闇討伐の指令が下ったのがつい先ほどのことだ。風真はその任を受けたついでに、
首領から帝都観光の有する人外戦力の筆頭である黒の呼び出しという伝言を預かって、この部屋にやってきたのである。その仕事に、この2人を連れて行くのは風真の独断ではあるが、やる気旺盛に見える新米コンビを育てるのにちょうどいいだろうと割とザックリ内容を伝えた。
「山歩きかぁ。うん、制服だけど問題なし」
膝丈のボックスプリーツにハイソックスにローファーという山歩きには全く向かない服装の唯音は、場所を告げられても特に気にした様子は見せず、あっさりと問題なしと笑う。
「ゆいね、その辺に生えてる雑草とかでケガしないでね」
「ケガしても、別に血はタワシちゃんが拭えばいいんだし、問題なくない?」
「そうじゃナイ…。イタイから気を付けてって言ってるの」
いつものように噛み合っているようで噛み合っていない会話を繰り広げる奏多と唯音を、風真は微笑ましい気持ち半分、痛ましい気持ち半分で見つめる。楽しそうに打ち解けている様を見ると、何故もっと時間がないのかと思ってしまうのだ。
「それじゃ遠足行こうかー」
風真は、何故だか引率の先生の気持ちで、そう言った。
帝都観光の地下駐車場に停めてある社用車の1台を風真が運転し、
祥馬志貴スカイラインを利用して目的地の展望台に着いた時には、日暮れも間際の黄昏時、夕闇に飲まれ行く時間だった。
「誰そ彼時かぁ。確かにすれ違っても相手が解らなさそう」
展望台の広い駐車場で車を降りるなり、唯音は周囲を見渡してそう呟く。これから実戦だというのに、やはり動じる様子は欠片もない。
「それじゃ、実戦なワケだけどー。まず、なんで外なのか教えてくれるんだよねー?」
会話の流れからそのまま連れ出してしまったが、果たして本当にそれで良かったのだろうかと、風真は改めて唯音に向き直る。
「
風兄、何見ても内緒に出来る?」
応えたのは、唯音ではなくその
対である奏多だった。黄昏時の夕闇に染まった瞳が、キラリと昏く光る。
「えー…何、そういうややこしい話ー?」
言葉では茶化すようにそう言いながら、風真は真っすぐに見つめてくる奏多にひとつ頷いて見せた。毒を食らわば皿までという言葉の通りに、乗り掛かった舟だとここで何を見ても口外しない事を約束する。それに、瘴気で澱んだ空気が充満したこの場所では、あまり悠長に談義している余裕も無さそうだとの判断も、その決断を後押ししていた。
「あれれ、思ったよりあっさりと共犯者になってくれちゃった…?」
本当に良いのかという意味を込めて、唯音が小首を傾げて風真を見上げて問いかける。見鬼の才を持たない唯音は、瘴気に包まれ闇に侵されたこの地も眺めの良い展望台にしか見えない。だからなのか、その佇まいから欠片も危機感を見出す事は出来なかった。
「うん、いいよー?その代わり、絶対無傷で帰ろうねー」
お互いに約束だと風真は指切りのために小指を差し出す。一体何を見せられても、兄弟の主人として大切に想うのは変わらず、それだけでなく唯音自身も興味深い少女だと思う。この先、出来れば長い付き合いであって欲しい相手と、悪い意味でない共犯関係くらい喜んで引き受けようという気持ちだった。
「じゃ、風真ちゃん、ちょっとソコで見ててねぇ~」
歌うように朗らかに言うと、唯音は数歩展望台に向けて歩き出す。自然な動作でネクタイを外したままの制服の首元を広く寛げ、くいっと襟を引いた。
「それじゃ、始めよっか。……
奏楽」
静かな声音で、唯音は己の
対である奏多を呼ぶ。その声そのものが、力を持つような、特別な響きだった。
「…いつでも」
既に応戦の準備は出来ていると奏多はふわりと笑って、唯音の傍らに立つ。気負うでもなく、穏やかで
静謐な空気を
纏っている。
「え、そのままの恰好?」
せっかくの空気をぶち壊すように、唯音は傍らの青年姿の奏多を見上げてキョトンとした表情を浮かべた。
「へ?この恰好の方が戦いやすいジャン。ご主人も護りやすいし」
人型の何がいけないのかと、奏多は己の姿を見下ろし、不思議そうに首を傾げる。
「ふわふわの耳は!?ぱたぱた動く、最高のチャームのしっぽは!?」
ずいっと身を乗り出すように、唯音は奏多に詰め寄った。人型なのは構わないが、せっかく人目を気にせずに済む場所だと言うのに、大好きな毛並みに触れられないのは不満だと僅かに緊迫した空気を完全にぶち壊して大きな声で苦情を申し立てている。
「ワカッタ…」
言いたいことを理解したらしい奏多は、上体を僅かに仰け反らせながらも宥めるようにそう言って、ポンっという効果音と共に半分だけ変化して見せた。頭の上から髪と同じ色のふわふわした狐耳が生え、腰のあたりからは青年の体躯でも大きく見えるふさふさした尻尾が9本も生えている。
「………そーいう…?」
どこまでも締まらない光景を前に、風真は呆れたような声を上げた後、何かに気付いたように目を大きく見開いた。
「もふもふ、ほら、早く。ごはん」
首元を差し出し、唯音は奏多にそう迫る。
「首より横腹とかの方が柔らかくてスキ…」
一応、ごはんの場所の好みを自己申告しながらも、さすがにこんな場所で横腹に噛みつくわけにもいかないので奏多は大人しく差し出された首に鋭い牙を当てた。ぷつりと肉を食い破る感覚が伝わって、生の源が流れ込んでくる。
「横腹でもイイけど、せめて室内」
唯音の方はと言えば、肌を食い破られている痛みを感じている様子はなく、ふさふさと揺れる尻尾をもふもふと触りながらそう言った。別に大好きな油揚げ改めもふもふ改め奏楽の希望が横腹ならそれでも一向に構わないのだが、一応世間一般的には年頃の乙女であるからして人前で上着を
開けるのはどうかと思う。なので、屋内限定、周囲に他人の耳目がなければという条件付きの許可だった。
「ホント?」
省エネを自称する奏多は大した量の餌を必要とはせず、僅かに啜っただけで顔を上げて喜色を滲ませる。
「ホント。それじゃ、改めてさっさと終わらせてそのしっぽ、もふらせて」
やる気イコール九尾姿の奏多の主にしっぽを触ることで充填されるケモナー唯音は、そう言うと見えていないはずの闇が密集する虚空に視線を向けた。
「ご主人が触りたいならいつでも」
主人にしっぽを振る忠犬のようにふさふさの尻尾を揺らしながら奏多は言うと、気持ちを切り替えるように1度深く目を閉じてからしっかりと闇が固まっている宙を見上げる。
行方不明者の情報が出てからめっきり人が近づかなくなった展望台、久々の獲物が訪れた状況に瘴気が濃くなって行くのが感じられた。
「…『
遠つ神
愛み
給へ』」
力のある言葉、
天津祓、
五大神咒とも呼ばれる
祝詞を唯音が奏上した瞬間、周囲は清浄な空気に包まれる。目に見えない光が辺りを照らす感覚とでも言えば良いだろうか。天津神を拝する言葉であり、
五元の神を讃える言霊でもあるこの言葉だけで、まるで囲ったかのように周辺から低級な闇の残滓や成り損ないの闇は一掃されてしまった。
「…おー、スゴイスゴイ…って素人じゃないねー明らかに」
どこからツッコミを入れたら良いのか解らず、風真はツッコミを放棄して苦笑交じりの称賛を送る。パチパチと乾いた拍手が静かな山林に木霊した。
「奏楽…本体あの辺だよね」
視界の中に闇らしきモノを何も捉えることは出来ない唯音ではあるが、並みならぬ修練の末にその気配を察知する事は容易い。目にはただの展望台にしか映らない宙空を見上げ、唯音は傍らの奏多に声をかけた。気配しか掴めていない自分とは異なり、奏多であれば正確に核の位置まで視えている事は、わざわざ聞くまでもない。
「ダイジョーブ、ダイタイ合ってる」
唯音の視線の先を読み、位置を確認した奏多は視界を共有しているわけではない事を差し引いても自身の視界に漂う闇の位置を見つめ相手にしっかりと頷いてみせる。
「じゃあ…。奏楽、ちょっと借りるね…?」
さて漂う闇をどう処理しようと奏多が思考を巡らせようとした刹那、唯音は視線を視えもしない闇に向けたまま静かにそう告げた。
「…へ?」
ナニを?と奏多が問いかける前に、ズ…と目に見えない奏多の力の一部、例えるなら尻尾1本分くらいの力が唯音に向けて流れていく。ゆらりと陽炎のように奏多を包む空気が揺らいでいた。
「…人と契約する人外の制約の1つでしょ」
確認でも問いかけでもなく、規定事項として知っているとでも言うように、唯音は制服のポケットに入れてあった、長年奏多が持っていた方の鈴とそれを通した組み紐を取り出し宙に放り投げる。リン…と高く澄んだ音色が響き、鈴が唯音の手の中に納まった瞬間、組み紐がするりと解け、曲線を描いて何かの形に転じた。
「こんなものかな…?」
手の内に納まった朱の細い和弓を手に、唯音は微かに口角を上げ微笑む。
唯音の手の中にあるのは、飾り気の殆どない朱塗りの和弓で、先端に鈴と桜の花が揺れている。どこに隠し持っていたのかというのは、愚問だろう。この弓は、唯音が依り代を用いて奏多の力を自身が扱える形に具現化した姿だ。最も、言葉で説明するのは容易いが、何の訓練もなしに一朝一夕で出来る事でもなければ、ましてや契約したての新米主従程度の信頼関係で可能になるものでもない。それどころか、本契約の更に先、
所謂覚醒契約というモノが必要になってくる。覚醒契約というのは、主が人外に『名』を恵めば完了ではあるが、主である人が人外に恵む名というのは、それこそペットを飼うのによく似ており、心の底から自身の半身であると存在を全肯定する想いの強さが必要だった。
「この短期間で…?」
だから、思わず風真からこのような驚きの声が漏れたのも、当然と言えよう。契約して年単位が経過しても未だ名を恵まれない主従も存在するし、名を恵まれても武器化が出来ない主従も存在する。それを考えれば、異例どころか異常と言っても過言ではない。まず、僕側である自分たち人外側が、主人を絶対的に信頼していなければ、この能力は発現させることが出来ないのだ。何せ、こうして貸与された能力で形作られた武器は自分たちを傷つける事も出来る諸刃の剣に成りかねない。
「…オレ、まだ教えてナイんだけど…ソレでどうするツモリなの」
武器化について、言葉通り奏多は唯音にまだ教えていなかった。そもそも、奏多の心情としては自衛となる武器は与えても構わなかったが闇に一切手出しさせずに護りきる所存だったため、後回しで良いという判断になっていたのだ。それを、あっさりとモノにしてしまった唯音に対し、自身を害せる武器だというのに怯えも惧れ抱いている様子はなかった。
「弓なんだから、矢を射るに決まってるじゃない」
弓だけで矢はどこにも見当たらないからこその奏多の言葉なのだが、唯音は何を当たり前の事をとでも言うように、照準を闇の本体に合わせ弓を構える。
「だから、矢は…」
ただの人ではない気配を察して
蠢きだした闇に、警戒するように耳と尻尾の毛を僅かに逆立てた奏多はどうするのかと唯音に問いかけた。別に9本ある尻尾の1本分と言わず2本分だろうが力を与える事は構わないのだが、いきなりのぶっつけ本番で武器の具現化という高度な事をやってのける程の才能に溢れた主人であっても不慣れである事には変わりないのに、流石にこれ以上の具現化は難易度が高すぎではないかと言葉を重ねる。
「視えないのに、狙って当てるなんて出来るワケないじゃない?」
奏多の心配を他所に、唯音はくすくすと可笑しそうに笑った。すぅっと深く息を吸い、静かに瞳を伏せる。
弦をキリリと引き絞り、限界のところでそっと手を放す。琴を爪弾くような
鳴弦の音が、周囲に響いた。
視えるモノの目には、放たれた一本の矢のような光が、一気に広がって無数の白い光が矢と化し闇の核ばかりか周辺一帯目掛けて飛んでいく様子が眩く映っただろう。例えるなら針鼠の針のように、視えなくとも射ち漏らす事のないよう放射状に広がって弾幕と化した光の矢は闇もその僅かな残滓も根こそぎ穿っていった。
「…任務完了っと」
弓道でいう残心の後、唯音は伏せていた瞼を上げる。淡々とそう口にしたかと思えば、万に一つも射ち漏らしなどあるわけがないと確信しているように、弓を一振りして元の鈴と組み紐に戻し、そのまま制服のポケットへと仕舞った。
「オレの出番ナカッタし」
やれやれと肩を竦め、わざわざ人型に転じてまで護りやすく備えたというのに、全く何もやることのなかった奏多は労うように唯音の髪を優しく梳く。親愛の情が伺える柔らかな手つきは、慈しみだけではない情も含んでいるような、まだ契約を交わして数日とは思えない深い関係を感じさせさせる。
「さぁ、約束通りそのしっぽもふらせて!」
奏多を見上げ、唯音は勢いよく飛びついた。終わったらもふらせてと言った言葉の通り、奏多を地面に押し倒す勢いで抱き着いて、手触りの良いふかふかした尻尾にご満悦の表情を浮かべている。
「チョット、いきなりはアブナイ!何度も言ってるでしょ!?」
言葉では慌てたように言っている奏多ではあるが、恐らくこうなる事は予想出来ていたのか、危なげなく飛び込んでくる身体を抱き留め、そのまま好きなように尻尾を触らせていた。普段は長兄と小太郎、それに機嫌が良くても他の兄弟だけにしか触れる事を許さない尻尾に触れさせている事にも驚きを禁じ得ないが、渋々といった様子ではなくどこか倖せそうな表情を浮かべているのは、兄弟の誰が見ても思わず2度見する光景だろう。
「それを言ったら、本当は俺のお仕事だったんだけどねー?完全に見てるだけで終わっちゃったーあははー、なんて報告しようかなー?」
与えられた仕事を全うせず始終驚きのまま見学に徹してしまった風真は、割と本気で困ったように声を上げた。見たままを報告してはならないのは、この地へ着いた時に奏多から言質を取られている。かといって自身が全くと言って良いほど関与していない内容を、如何にして
捏造して報告すれば良いのか。いっそ白昼夢か何かであったなら、楽だったと風真はこっそり胸中で溜息を零したのだった。
作者:彩華