黄昏の満ちる所
強く照りつける西日。すべてが燃え立つように鮮やかなオレンジ色に染められた中、密やかに秘めやかに交わされる少女たちの
囁きが放課後の教室に
木霊する。
――ねぇ、知ってる?
抑えられた声音に宿る、どこか秘密めいた
悪戯っぽい響き。
――旧校舎のぉ、ウ・ワ・サ。
――あ、知ってる知ってる。アレだよね?
――たしか二階の一番奥の……
抑えきれず僅かに跳ね上がった声に、ばらばらと同意の声が返る。
――えー? 何ソレ、あたし知らない。教えてよ。
どこか拗ねたような呟きに、くすりと誰かが笑みをこぼした。
――旧校舎のね、二階の一番奥にある教室。そこの黒板にまず青のチョークで円を書くのね。で、その中に一回り小さい円を白のチョークで。それから二重円にかぶせるようにして円を三つ、黄色のチョークで書くの。……え? 言葉じゃわかりにくい?
友人の言葉に首を傾げると、少女はペンを取り出して適当な紙に図形を描いてみせる。
――んっとね、大体こんな感じ。中央に、全部の円が重なったところがあるでしょ? この部分に、自分の名前と好きな人の名前を書くの。色は赤ね。あ、他の部分にはみ出しちゃダメよ? 書き終わったら全部消す。これを、誰にも見られずにやると両想いになれるんだってさ。
とっておきの秘密を話すように弾む声に返るのは、どこか醒めた響きの宿る言葉。
――……ソレさぁ、ようするにただのおまじないだよね。
――え? あぁ、そうなる……かな?
きょとんとした表情で頷く友人を見つめ、少女は大きく溜息をつく。
――そんなモンに頼るようになったらオシマイだって。
――あー! バカにしたな? これ、効くって評判なんだよ。このおまじないやったコはみんなカレシ出来たってハナシなんだから!
――それに、結構やってる人多いんだって。
――えー? ウソでしょ?
――ウソじゃないってば!
ウソだ、いやホントだ、と言い合う少女たちに、一人会話に参加せずにやや離れた場所から成り行きを見守っていた少女がぽつりと呟きを漏らす。
――じゃあ確かめにいけばいいんじゃないの……?
その声に、内緒話をしていた少女たちが一斉に振り返った。
少女の瞳に夕日が映り込み、不思議な色合いを放っている。
一瞬しんと静まり返り、それからお互いに顔を見合わせてからわっと声を上げた。
――そうだよ、確かめにいけばいいんだよ。
――え? 今から?
――あったりまえでしょ? さ、行くよ!
――マジでぇ? ったく、メンドイなぁ……
――文句言わないの! ほら早く。
急かす声に渋々立ち上がるが、けれどもその顔には悪戯めいた笑みが浮かんでいる。
旧校舎に行くというのが、なんだかとても楽しいコトに思えるような笑みだった。
――誰かやってるかな。
――さあねぇ?
――ソレを今から確かめにいくんだってば。
笑いさざめき、時に
嬌声を上げて。ふざけあいながら、少女たちは教室をあとにする。
成り行きを見守っていた、見に行くことを提案した少女は、他の少女たちの背中を無表情に眺めていたが、やがてその表情は薄い笑みへと変わっていった。
その場に残るのは、低く抑えられた少女のかすかな笑い声。
小さすぎて聞こえるはずのないの笑い声は、校舎に僅かに反響して吸い込まれていった。
*
「――あ」
不意に上がった声に、少女たちは足を止めて後ろを振り返った。
「どうかしたの?」
問いかける声に、少女は小さく頷く。
「あのね、旧校舎って立ち入り禁止だよね。鍵、かかってるんじゃないかな……」
自信なさげなその声に、少女たちは顔を見合わせる。
今まで気づかなかった、といった風な表情になる。
「そういえば……そうかも」
「でもさ、旧校舎ってボロいじゃん? どっか忍び込めるようなトコあるんじゃない?」
少女たちは自信なさげに首を傾げあう。
「“おまじない”を実行している人が本当にいるのなら、進入経路は必ずあるよ……」
静かな、けれどもよく通る声で言い切られた冷静な言葉に、少女たちは一斉に口をつぐんで発言者へと視線をめぐらせた。
突き刺さるような視線を、夕日を受けて焔の色に染まった瞳で受け流し、淡々と続ける。
「実際、問題視するべきなのは進入経路じゃなくて、先生たちの見回りよね……」
そう言うと、今までのものとはとは種類の異なる、見るものにどこか威圧を与える笑みを浮かべた。
刹那、少女たちは彼女のそんな微笑に惹きつけられ、視線を奪われる。
笑顔のまま、少女は
緩慢な仕草で旧校舎の方を示した。
まるで操り人形のように、少女たちは揃って彼女の指し示した方に視線を向ける。
その先には、まだ娘や青年と言ってもいいほどの若さの一組の男女の姿。おおよそ教師らしからぬ軽薄な服装だが、夕日の中で見ると不思議な魅力があった。
彼女たちの視線に気づいたのか、二人はふと少女たちへと顔を向けた。
二対の瞳も焔の色の光を放ち、少女達の目を釘付けにしてしまう。
「ね……? やっぱり、いるでしょ……?」
教師たちを指し示していた少女が、先程と変わらぬ笑みのまま口を開いた。
その声に、二人の姿をじっと見ていた少女たちは再び視線を彼女へと戻す。
「――どうしよ? ちょっと待つ?」
「うん。せっかく来たんだし、話でもしながら待ってよう?」
少女達は、二人に声が届かないように声をひそめながら、どうする? と問い掛けあう。
「そうだよね。やっぱ、確かめないとねぇ」
その提案に肯き、少女達は悪戯っぽく笑い合う。
「――楽しそうだな?」
不意に、すぐ横で静かな声音が響いた。
「わっ! せ、先生っ」
少女たちは一様に肩を震わせ、弾かれたように振り返る。
そこには、つい先ほどまで旧校舎の入り口に立っていた二人の姿があった。
「――アレ? 今、旧校舎の入り口にいたんじゃぁ……?」
気配もなくたたずむ教師に少女たちが驚きの声をあげる。
「先生~瞬間移動みたい~。びっくりさせないでよぉ」
少女の言葉に、教師の片割れ、女性の方が笑みを零した。
「話に夢中になってて、気づかなかったのではない?」
そう言いながら、彼女は旧校舎のものとおぼしき鍵を指先で玩ぶ。
「そうそう。最近おまじないか何かが
流行ってるのか生徒がよく来るんだけれど、旧校舎は古くて倒壊の危険性があるから近寄らないようにね」
まるで見透かしたように彼女が言う。
その笑みは、どこか少女めいて見えた。
「大丈夫ですよぉ。私たちぃ、今、学校のウワサについて話してただけですからぁ」
「ウワサ? 七不思議とか、あんなのか?」
誤魔化すような少女の言葉に、それまで黙っていた男の方が口を開いた。
「そういえば旧校舎にもあったよなぁ、そういうの。確か……病死した生徒の幽霊が彷徨っていて、友達を探しているから午後4時44分には階段に近づいちゃダメだ、とか」
そう言って、男は一人離れた場所に
佇む少女へと目をやった。
「え~? そんな七不思議、知らないですよ。先生、嘘は良くないです」
視線を向けられた少女ではなく、固まっていた少女たちの一人が笑った。
「そうですよ。七不思議って言ったって、うちの学校三つくらいしかないし」
すぐ横にいた少女も楽しそうに笑って同意を示す。
「そうだっけ? まぁ、早く帰れよ」
男は苦笑交じりの顔で少女たちを諭す。
「変なとこに迷い込むんじゃないぞ? ホント、早く帰れよ」
少女たちは一瞬、お互いに顔を見合わせた。
しまった、バレた? 大丈夫じゃない? と目だけで会話する。
「小学生じゃあるまいし、平気平気」
少女たちのうち一人が、そう言って教師たちの方へと向き直る。
「そう? 本当に、早く帰りなさい。すぐに日も暮れるから」
女の方がそう言って、もう一度少女たちを見回す。
少女たちは再び顔を見合わせると、くすっと悪戯っぽく笑った。
「――確かめたら、ね」
小さく呟いて、こっそりと
肯きあう。
そして、少女たちが教師らの方に向き直ると、そこにもう二人の姿はなかった。
「先生、めっちゃ神出鬼没だねぇ」
「あ、学校の七不思議に加えちゃう? “怪奇、神出鬼没の二人組みの教師”って」
「ソレ、いいかも~」
楽しそうに笑いながら、少女たちは旧校舎の方へと歩き出す。
「それにしてもさ、先生の言ってた七不思議。4時44分だって」
一人が可笑しそうに時計を見ながら言った。
「あと……大体10分くらい?」
彼女の時計を覗き込みながら、少女が聞き返す。
「うん。でも、そんな話、聞いたことないよね~?」
「ないない。大体、うちの学校、七不思議系ってほとんどないじゃん」
「“おまじない”はあるけど、恐い話とか聞かないよねぇ」
明るく笑って、少女たちは肯き合ったところで、旧校舎の昇降口に着く。
「あ~……やっぱり鍵かかってるよ?」
軽くノブを捻り、少女が振り返って苦笑する。
「……でも……さっきの話、ホントだよ……」
不意に、それまで少し離れて歩いていた少女が口を開いた。
「え?」
よく聞き取れなかったらしい少女が彼女の方へと振り返る。
不意に、けたたましい音を立てて影が落ちた。
「きゃぁっ!」
少女たちが小さく悲鳴をあげる。
勢いで、ドアノブに手をかけていた手に力がこもる。
ぎぃ、と乾いた音を立てて、ゆっくりとドアが開いた。
「――ただの、
鴉だよ……」
くすくすと笑いながら少女が囁く。
その顔には笑みを浮かべながら、声だけが感情を含まずに。それはどこか不気味な響きを持っていた。
さっきはゆらめく焔の色を浮かべていた瞳は、弱まっていく太陽の光と共に金色へと輝きを変える。
「……ほら。侵入経路、あったでしょ……?」
しっかりと開いたドアを示して、中に入っていこうとする。
その表情は相変わらず笑顔で、少女たちは無意識に一歩、
後退っていた。
少女たちは彼女の動きを見守るだけで、まるで金縛りに合ったかのように固まっていた。
一人、すたすたと何の
躊躇もなく旧校舎に足を踏み入れると、ドアの向こうにいる少女たちを振り返った。
「確かめに行くんでしょ……? 行かないの……?」
「あ、待って。行く」
少女たちは弾かれたように、後を追って旧校舎へと足を踏み入れていった。
彼女達の去った後には、キィ……キィ……と乾いた音を立てて軋むドアがかすかに揺れていた。
*
「きゃぁっ」
一歩足を踏み出すごとに、木の床はギシギシと歪んだ音を立てる。
「……うわ、不気味~」
窓から差し込む陽射しも弱まり、校舎に暗い影を落としていた。
「こんなとこで“おまじない”なんてやってる人、ホントにいるのかな」
あまりの不気味さにポソリと少女が呟きをもらす。
「だから、それを確かめに行くんでしょっ?」
少し怒ったような不機嫌な声。
「うん……。急ごう?」
小走りに近いような早歩きで少女たちはウワサの教室を目指す。
「――あっ……」
ちょうど、階段の踊り場に差し掛かった時だった。
不意に、少女たちの1人が脅えたような悲鳴をあげる。
「何? どうしたの?」
つられたように、悲鳴じみた声で少し前を歩いていた少女が振り返る。
「学校の、七不思議……」
悲鳴をあげた少女のまなじりに、恐怖のためかうっすらと涙が
滲む。
「――え?」
「
黄昏時に、旧校舎の踊り場の鏡に姿を映しちゃいけないって……鏡に囚われて、出られなくなっちゃうって……!」
聞き返した少女に、恐慌状態に
陥った涙交じりの声で訴える。
「そんなの、ただの作り話でしょ」
笑い飛ばす少女の声も、かすかに震えていた。
不意に鴉の鳴き声がどこからか響く。
すぐ傍の窓から見ると、体育館の屋根にとまっている鴉の姿が見えた。
空を見上げると、夕焼けのオレンジ色と夕闇の紫色が混ざり合った色をしていた。
黄昏と呼ばれる空の色だ。
「――ッ! 急いで確かめて、早く帰ろうよっ」
一人が急ぎ足で階段を昇り始める。
「あ……待ってよ!」
他の少女たちも慌ててそれを小走りに追いかける。
ただ一人、それを見て笑みを浮かべている少女を除いて。
「――えッ!?」
階段を駆け上がって行った少女たちの目に、後から着いて来ていたハズの少女の姿が飛び込んできた。
踊り場にかけられた鏡の中から、怯えたような表情の自分たちが見つめる。
「どういうこと……!?」
悲鳴にも似た声で少女が叫んだ。
その目にも恐怖のためか、涙が浮かんでいる。
「やっぱり……七不思議、本当の事だったの……?」
最初に踊り場の鏡の話を思い出した少女が
蒼褪めた顔で呟く。
「ちょっと、それじゃココから出られないってコトじゃんっ」
悲鳴が上がった。
僅かに遅れて
嗚咽が漏れる。
「……私、もう、帰るっ」
怒ったように叫び、少女は階段を駆け下りる。
木造の廊下にばたばたと騒々しい足音が響く。
余韻を残しながら階下へ消えていった足音が、何故か上から響いた。
「――えっ!!?」
「ウソ! 何でっ!?」
階段を駆け下りたはずの少女は、階段の上から現れた。
駆け出した時の怒ったような表情が歪み、次第に
脅えたようなそれへと変わっていく。
くすっ……
不意に、少女たちの一挙一動を無感動に眺めていた少女が小さく笑った。
もはや日は落ち、空はほとんど夕闇に支配されているのに、彼女の瞳は金色の光を放っている。
その顔に浮かぶのは、脅えも恐怖も感じさせない笑顔だった。
「何、笑ってるのよっ!?」
恐慌状態だった少女の一人が叫ぶ。
「元はと言えば、あんたが確かめに行けばって言ったんじゃないっ」
思い当たった事実に、非難の色の濃く出た声で怒鳴る。
八つ当たりでも何でも良かった。
「こんなことになったの、あんたのせいなんだからぁ……」
涙で顔をグシャグシャにして、少女たちは言い募る。
「……でも、選んだのはアナタたちでしょう……?」
どこか楽しんでいるようにも見える暗い笑みで呟き、ゆっくりと階段を下りていく。
少し動いただけで軋むはずの床を、こそりとも足音を立てずに。
「――待ちなさいよっ」
ゆっくりと歩き出した少女の後を、泣きながら追いかける。
けれど、追いつくことが出来ない。
何度階段を下りようとも、行き着く先は同じ踊り場でしかないのだから。
そして、誰かがぽつりと呟いた。
――ねぇ……あんな子、クラスにいたっけ……?
*
薄い紫から完全な闇へと覆われた空の下、身を切るように冷たい風を受けながら二つの影が佇んでいた。一つは長く艶やかな黒髪を風になびかせ、
硝子色の翼を持った少女の姿。もう一つは緩く編んだ水色の髪と、夜のように深い闇色の翼を持つ青年の姿。
手に持った手鏡を見つめていた少女が、不意に手鏡から目をそむけた。手鏡の中には、薄闇に染まった旧校舎の階段を泣きながら走る少女たちの姿。
「“いく事もかえる事も出来ぬまま、立ち尽くす”か……」
溜息と共に吐き出された苦渋に満ちた呟きに、青年が顔を上げた。
「……だから、言ったのにな……。“変なところに迷い込むなよ”って……」
痛ましげに顔を歪め、小さく呟く。
青年の言葉に少女は僅かに目を伏せ、手鏡の表面をそっと撫ぜた。囚われた少女たちを慈しむように……
慰めるように。
「“神”の名を冠されようが、所詮死神はお役所勤め……。この手を離れた
生命をどうする事も出来はしない――ただ、見守るだけさ……」
「
馨……」
「わかっている、ゼノ。わかっている――ハズなんだ、頭では……。でも、どうしても救いたいと思ってしまう。この、心が……」
泣き出しそうに揺れる瞳を閉ざし、馨は小さく息を吸った。
もう一度、いとおしむような眼差しで鏡の中の少女たちに触れ、胸に抱き寄せる。
「――――――……」
くちびるの動きだけで囁いて、馨は祈るような仕草で手鏡を夜空へと投げた。
硝子色の翼を広げ、手鏡を追うように空へと舞い上がる。少し遅れ、ゼノもまた飛び立つ。
――もぉ、やだぁ……
――うちに、帰りたいよぉ……
床に座り込んで泣きじゃくる少女たちの背後で、瞳に金の光を浮かべた少女が小さく笑っていた。
くすくす、くすくすと。いつまでも、楽しげに……
こんにちは、梅ケ香です。この“黄昏の満ちる所”の原案を担当いたしました。
“学校の怪談”とでも申しましょうか。そんな感じの本作品、文章は二人の合作となっております。
最初と最後を梅ケ香が、真ん中の部分を彩華さんが担当しております。
この作品、原案段階では梅ケ香の身に実際に起こった事を元として作り上げました。
――それは、丁度季節が移り変わる頃の事でございました。
いつものようにパソコンで作業をしていた時の事。ふと、わたくしのパソコンは動きを止めました。使用していない窓を閉じようとしたものの、閉じず。
パソコンの命令違反はいつもの事と、もう一度同じ命令を送り……しばらくして動き出したパソコンは、ずらりとタスクトレイの窓を開きました。その数およそ12。
慌てて窓を閉じ、一桁台に減ってほっとしたのも束の間。タスクトレイは15にその数を増やしたのでした。何度やっても同じ事の繰り返し――。
とまぁアホっぽく語ってみましたが、概ねそんな感じです。
他の作品とは一線を画する出来となったかと思いますが、いかがでしたでしょうか?
機会がございましたら、またこのシリーズでお逢いいたしましょう。
本文、及び後書きは制作当時のものをそのまま掲載しています。
作者:梅ケ香、彩華